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日蓮聖人一代記12

〈佐渡流罪〉

龍口法難(文永8年 9月12日)からひと月後、厚木を発って新潟県寺泊(てらどまり)を経て、佐渡へ着かれたのは18日目のことでした。

佐渡での住まいは、本間重連の佐渡館の裏山、塚原という墓場の中の三昧堂で、寒風吹きすさぶあばら屋でした。

冬のある日、お坊さんや念仏の信者たちが、聖人に問答を迫りましたが、ことごとく論破され、中でも阿仏房(あぶつぼう)は、特に熱心な信者となり、妻の千日尼(せんにちあま)とともに毎日食事を運びました。
塚原での生活は6ヶ月におよび、「我れ日本の柱とならん 我れ日本の眼目とならん 我れ日本の大船とならんと誓いし願破るべからず」と示された、日蓮聖人の遺言の書である「開目抄」を極寒の2月、この地で書かれました。

そして、新緑薫る4月、聖人の身柄は一の谷入道(いちのさわにゅうどう)の家へ移され、ここで日蓮聖人の生涯において最も重要なご文章である「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」を書いて、千葉の富木常忍さんの元へ送られました。
この「本尊抄」には、法華経に説かれている表面的な内容だけでなく、文章の奥に秘められている宇宙の真実の姿、生命の真実の姿が説かれているのです。

さらに三ケ月後には、「本尊抄」に説いた法門を図様化した「十界互具の大曼荼羅」を顕わされました。これこそ誰もが本来最も尊ぶべき「本尊」なのです。
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