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日蓮聖人一代記09

〈伊豆流罪〉

弘長元年(1261) 4月下旬、40歳の日蓮聖人は再び鎌倉に戻り『立正安国論』を認めない北条氏を激しく非難しました。

幕府は面目を保つために、日蓮聖人を伊豆流罪という刑に決めました。しかも、松葉が谷の夜襲と違い、国家権力をもって流罪ときめ、鎌倉の材木座の浜から船出しました。

聖人を乗せた船は、相模灘を横断し、伊東の近くの小さな「まないた岩」に降ろして、帰っていきました。
波に身を任せ法華経を読み始められたとき、小舟が近づいて聖人を助けあげました。
小舟の主は、船守弥三郎(ふなもりやさぶろう)という漁師で、網置き場の岩屋にかくまって、奥さんとともに食事を運び続けました。

そんなある日、地頭の伊東氏が病気になり、聖人を探し求めて、ご祈祷を依頼しにやってきました。
罪人の身である聖人に祈願を頼むくらいですから、相当重い病気だったのでしょうが、快復したお礼にと、海の中から出現した仏像を差し出しました。
この仏像は随身仏として、いつも日蓮聖人のそばにまつられることとなりました。
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