お寺紹介 お坊さんの活動 センター報(栴檀) 教え ここが知りたい
TOP教え>日蓮聖人一代記11

教え

日蓮聖人一代記11

〈龍口法難〉

鎌倉へ戻った日蓮聖人は、僧俗一体となって法華経信仰をひろめていきました。

国内では『立正安国論』で指摘した「自界叛逆難」がおこり、蒙古襲来も目前に迫っていました。 日蓮聖人のこの預言は、仏教の鏡に映し出された仏の未来記をありのままに述べたものでした。
このような日蓮聖人に幕府はついに、聖人を佐渡遠流、内々に龍口にて首を切る事を決めました。

文永8年(1271) 9月12日[日蓮聖人50歳] 召し取られた聖人は、はだか馬に乗せられ、江ノ島片瀬(えのしま・かたせ) 龍の口(たつのくち)刑場へと引かれていったのです。
途中、鶴ヶ岡八幡宮にさしかかったとき、日蓮聖人は大声で「八幡大菩薩はまことの神か・・・」と、法華経の行者を守る役目を果たすよう叱りつけました。
源氏の氏神を叱りつけたのですから、役人はびっくりして、あわてて馬を引き立てました。

知らせを聞いた信者の四条金吾(しじょうきんご)は、一緒に死ぬ覚悟で駆けつけ、いよいよ首を斬ろうと、役人が刀をかまえたとたん、江ノ島の方角から不思議な光の玉が飛んできて、役人は驚いて逃げ去り、処刑どころではありません。
「日蓮の首斬れません」という早馬が鎌倉に向かい、鎌倉からは「日蓮の首斬るな」との連絡が、小さな川で行き合い、その川は「行合川」(ゆきあいがわ)と呼ばれています。
戻る次へ