蓮光山 妙法寺
住職:木全 鳳文
住所:愛知県小牧市常普請2丁目162番地の2
電話:0568-77-0852
名鉄小牧口駅より徒歩20分
縁起
当山は、大本山池上本門寺の直末で開祖は六老僧の日朗菩薩である。
寺伝によると宝徳2年(1453)に市之久田の常普請に妙法堂を一宇建立されたのが始めとされている。
天文5年(1537)に京都大本山本圀寺第14世蓮光院日助上人が来堂され、日助上人が、堂宇が焼失していた鎌倉の妙法寺のこの地への移転を池上本門寺に乞うて、本門寺の沙汰により、当地に移された。
弘治元年(1555)に山号を蓮光山に改称し、日助上人を開基とし、伽藍寺場移転の供養を執り行い、本山より唯唱院日光上人を移転の祖とした。
室町後期の連歌師である里村紹巴の『富士見道記』に
「永禄十年二月六日の頃に、清須より小牧へ付侍るに。明院かねてより乗物など国堺にいひをかれたるに。先へも飛脚有しとて。義元など麓まで迎に院出給へり。舊職(識)智の故都の内より心安して。旅の宿ともさらに思わず。風雅にこころ染ぬ人さへ。しのびしのびは。春に日秋の夜に思ひ出るとも蓋ざまらし。張行などは発句にてみえなんかし。於、妙寶(法)寺。咲ちるもしらぬは花のこころかな」
と当山について記している。
寺伝によると宝徳2年(1453)に市之久田の常普請に妙法堂を一宇建立されたのが始めとされている。
天文5年(1537)に京都大本山本圀寺第14世蓮光院日助上人が来堂され、日助上人が、堂宇が焼失していた鎌倉の妙法寺のこの地への移転を池上本門寺に乞うて、本門寺の沙汰により、当地に移された。
弘治元年(1555)に山号を蓮光山に改称し、日助上人を開基とし、伽藍寺場移転の供養を執り行い、本山より唯唱院日光上人を移転の祖とした。
室町後期の連歌師である里村紹巴の『富士見道記』に
「永禄十年二月六日の頃に、清須より小牧へ付侍るに。明院かねてより乗物など国堺にいひをかれたるに。先へも飛脚有しとて。義元など麓まで迎に院出給へり。舊職(識)智の故都の内より心安して。旅の宿ともさらに思わず。風雅にこころ染ぬ人さへ。しのびしのびは。春に日秋の夜に思ひ出るとも蓋ざまらし。張行などは発句にてみえなんかし。於、妙寶(法)寺。咲ちるもしらぬは花のこころかな」
と当山について記している。